周りの人たちから「パンを焼く人」「パンを食べる人」とからかわれるほどパンが好きだった古代エジプト人は、ついにふくらむパン、いわゆる発酵パンの作り方を発見しました。
ピラミッドの遺跡からは、パン作りの様子を描いた壁画やパン焼き釜、炭化したパンなどが出土し、当時のエジプトのパン文化がかなり進んだものであったことが偲ばれます。このふくらむパンは、ガレットと比べると信じられないくらいおいしく「神様からの贈り物」といわれ、ファラオとその家族、貴族などほんの一部の特権階級の食べ物でした。
古代エジプトでは、労働の報酬として農民たちに1日4個のパンと壺2杯分のビールを払ったと言われています。お粥やガレットを常食にしていた農民たちにとっては、この上ないごちそうだったことでしょう。巨大なピラミッドも、パンとビールがあったからこそ、造れたのかもしれません。


 
 

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コンセルボにはメロンパンやクリームパンなど30種類以上の菓子パンのアイテムがあります。お店に並んでいるのはその一部ですが、菓子パンは、私たち日本人には子供の頃を思い出す懐かしいパンであり、現在でもベーカリーの棚を占める人気の商品です。
実は今から約2500年も昔、すでに古代ギリシャでは主食のパンの他に菓子パンが作られていたのです。ギリシャはエジプトから小麦を輸入するようになるとパン作りの技術も伝わりました。オリーブをはじめ、ブドウなど果実が豊富な土地柄ですから、たちまちオリジナルなパンが作られるようになりました。オリーブ油で揚げたドーナッツや、はちみつ、ジャム、アーモンド、チーズ、バターなどを使った今日の菓子パンのようなものが次々に作られました。形も、丸や四角、三日月型などさまざまで、パン食人は競って自分のしるしを象ったかわった模様の楽しいパンをたくさん作りました。

コンセルボにもパンオブプリンや生クリームあんぱんなどの個性的な菓子パンがたくさんあります。是非、ご賞味してください。
 
 

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世界中のパンを色で分けるとすれば、食パンやフランスパンなどの白いパンとライ麦パンに代表される黒いパンに分けられます。ガレットはもちろん、ファラオが食べたふくらむパンもギリシャの菓子パンもみんな黒いパンでした。
理由は、小麦粉にふすまが含まれていたためです。ふすまは小麦を挽いて粉にする過程で取れる小麦の皮のことです。当時は小麦粉とふすまを分ける方法がなかったため、一緒に焼かれたパンは灰褐色でぼそぼそしていました。現代の私たちが食べてもあまりおいしいとは思わないでしょう。
その後、白いパンが焼かれるようになると、白いパンが上等なもの、貴重なものであったため、黒いパンは、長い間、身分の低い民衆が食べるものとされていました。しかし最近は、ふすまに含まれている食物繊維が健康上非常によいと再認識され、人気が出てきました。フランスの「パン・ド・カンパーニュ」は別名「田舎風フランスパン」といわれ、ふすま入りパンの代表といえます。
ライ麦パンはパン・ノワ−ル=黒いパンと呼ばれ、文字通り現代の黒いパンの代表です。ライ麦はやせた土地でも栽培可能で寒さにも強いため、北欧、東欧で多く栽培されています。日本でも最近はファンが増えてきましたが、特にドイツでは殆どのパンにライ麦が使われているといっても良いほど、国民に愛されています。
ライ麦粉は黒っぽく、グルテンを形成しないので、サワー種などで膨らませて、独特の酸味と香りをつくります。またライ麦粉だけでは重くずっしりしているため、ボリュームや軽さを出すのに小麦粉と混合したパンもいろいろあり、ドイツにはパンの種類が200とも400以上あるともいわれています。
 
「フランス革命とパン」
1789年パリの民衆はサン・アントワーム通りにあるパン屋の前に集まり「パンをよこせ」と叫んで暴動を起こしました。まもなく軍隊に鎮圧されたが、その後彼らはベルサイユ宮殿に向かい、国王をパリに連れ戻し、民衆の窮状をわからせようとしました。
この事件があのフランス革命勃発のきっかけになったのです。
 
 

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ある道具の発明が、黒いパンを白いパンに変えました。1世紀頃の古代ローマで、馬のしっぽの毛で編んだ細かい編の口の「ふるい」が発明され、粉とふすまが分けられるようになったからです。ふすまの入らない白いパンの誕生です。「えっそんなことで」と思うほど、目から鱗の発見でした。
紀元前後のローマには百万人以上の人が定職を持っていいなかったので、貴族など上部階級の人たちは、暴動を恐れ、彼らにパンなどを無料で配ったそうです。こうして古代ローマはパンの大消費時代にはいったのです。この時代、ローマには250〜300軒のパン屋があり組合も結成されていました。そしてパン屋に生まれた子はパン屋を継がなくてはならないという厳しいい法律が作られました。それほどローマにとってパンが必要だったのです。それだけにパンの技術も飛躍的に大きく進歩しました。火山の噴火で埋まったボンベイの遺跡からは、当時のままの製パン所や製粉所が発掘され、その規模の大きさから、パンがいかに大量に焼かれていたかが分かります。しかし、白いふくらんだパンは上流階級やローマ市民の話で、農村は相変わらずお粥やガレットが主流でした。
 
 

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その後パンの文化はあまり発達しませんでした。ローマ帝国が滅びた(476年)5世紀から15世紀の中世ヨーロッパは戦争に明け暮れ、パン作りも教会や貴族の家だけに許可されたため、庶民の間には広がらなかったからです。
再びパンが脚光を浴びるのは16世紀になってから。フランスのアンリ14世がイタリアのメディチ家の娘と結婚した時、パン職人を連れてきたのが始まりといわれます。以後、マリーアントワネット付きのコックなどによって、フランスは料理とパンの文化の中心となり、リーン、リッチともにおいしいパンが数多く生まれました。
リーンなパンとは、小麦粉、酵母、水、食塩だけで作るパンのことです。パン自体のうまみを楽しむパンで、その代表は「皮がパリッ、中がフワッ」っと一つのパンで違う味わいを楽しめるバケットなどのフランスパンです。一方、高品質な白い小麦粉にバター、卵、牛乳、砂糖、時には果物や木の実などを使った贅沢なパンをリッチなパンといいます。ブリオッシュやクロワッサンは見るからにリッチなパンという感じです。
 
 

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